熊本県立玉名高校 同窓会会長の徒然日記

頼まれごとは試されごと^ ^

我が玉名高校を「どうしても行きたい高校」にするためにはどうしたらいいのか。

私の知り合いに玉名の別の高校出身のSさんという人がいて、その人と先日お話をしていて、とても参考になるご意見をいただいたのでアップさせていただきます。


そのSさんの甥っ子さんがT高校卒業とのことで、現在大手の技術系会社で活躍していらっしゃるとお聞きしました。


その甥っ子さんはT高校在学中、先生との折り合いが悪く、あまり進学のための勉強には向かわれなかったらしく、結局はほぼ音楽の試験だけで入学できる音楽短期大学に進まれたそうです。


その短期大学で2年間の追加履修をして合計4年間通われたとのこと。


もちろん音楽学校ですからピアノなどの楽器はバリバリ弾けることになるわけで、超難解な音楽理論もバッチリ習得されたと聞きました。


そのSさんがその甥っ子さんの進学については中学校の時からずっと面倒を見ていたらしく、最初はT工業高校に行く予定でそのように指導していたそうです。


しかし本人が社会に出てから、事業所の中でT工業高校出身だったら技術者の道、T高校に行けば管理者の道が拓ける。


そういう将来の進路を選択する時、甥っ子さんが管理者の道を選んだということで、T高校への進学に方針を切り替えて入学を決めたそうです。


結局その音楽学校には4年間行ったけれども、就職という世の中にデビューするという時に至っては、音楽学校での卒業の肩書きを持ってしてなかなか難しかったので、Sさんはまたもや方向転換して、電子系の各種専門学校に行くように本人と家族に急遽説得し、本人も家族もそれを了承し、技術者の道をあえて選んでその後の4年間専門学校に通われ、専門的な技術を習得されたようです。


その甥っ子さんは冒頭申し上げたように大手の技術系企業に入社するわけですが、入社してから瞬く間に各種資格をいくつも取得され、社内での研修の時会社に認められたのか、新人でありながら最初からその会社の講師として同期あるいは後進の人たちに専門的な講義をしていたのだそうです。


その後甥っ子さんは管理職の道を進むことになり、現在充実した日々を送っているとのことです。


そのT高卒の甥っ子のことに関してSさんは心から
「T高校に進んでよかったな」


と感想を述べられています。


16歳から3年間のT高校時代の経験こそがその学習能力あるいは社会適応能力あるいは困難に打ち勝つ力を得たのではないかと分析されています。


それは進学校としての教育の在り方だったのか、朝課外とかの試練だったかもしれません。あるいは体育祭での人文字の特訓の経験かもしれませんし、小岱山往復マラソンの実体験も多少影響があったのかもかもしれません。


しかし確実に言える事は旧制T中(現T高)卒の金栗四三氏が残した


「体力、気力、努力」


この3つの言葉に尽きるのではないかとSさんは分析しています。


また、Sさんは「坂の上の雲」のと言うテレビ番組が大好きだそうで、その中でロシア艦隊との日本海海戦において秋山参謀が東郷平八郎司令長官に進言したT字戦法を例に取り上げます。

甥っ子のその場その場に置かれた立場での対応力、先読み力は玉高時代に培われたものであり、秋山参謀の沈着冷静な情報収集能力、現状分析と近未来の我が身の持って行き方など、彼にある意味で当てはまるのではないかとの解析までされています。


バルチック艦隊を撃破したのは、過去の試験問題の読解であり、将棋の何手か先の読みの結果であり、決して行き当たりばったりの作戦とは違うという見解です。


T高校卒業ではないSさんの熱い言葉に私は今日のブログの主題の解決のヒントを得ました。


坂の上の雲、名言集より抜粋
 戦略戦術を研究しようとすれば海軍大学校におけるわずか数か月の過程で事足るものではない。かならず古今海陸の戦史をあさり、その勝敗のよってきたるところを見きわめ、さらには欧米緒大家の名論卓説を味読してその要領をつかみ、もって自家独特の本領を養うを要す  (秋山真之/「渡米」より)』


ペリリュー島の中川大佐にしてもT高校の大先輩ですが、たった1万人強の日本軍が6万人もの(戦力は数百倍ともいわれている)アメリカ軍を相手にペリリュー島の攻防戦で
「数日で、撃破攻略してしまうよ」
と予測した米軍司令長官の目論見と違い、何十日も耐え、米軍に驚愕の損害を与えたというその作戦、あるいは地元の人々を誰1人として戦禍に巻き込まなかったという偉大な功績も、そしてその綿密な作戦も、T高校の学びの基礎があってこそと評価されるべきものではないかと S氏は語っています。


さらにS氏は


『相撲で言う
「心、技、体」

「体力気力努力」
とつながるものがあります。
そういういろいろなT高での経験が甥っ子の運命を決めたと言っても過言ではない』


と結論づけていました。


私の過日に書いたブログでも、T高校の良さは
「考える力を与える高校である、あるいは困難に立ち向かいそれをなんとか、しのいでいく基礎体力と気力とを教える学校」


ではないかと思います。


教職員の方たちはやはり進学校ですから、どうしても良い大学へ、あるいは1つでも高いレベルの学校、大学へ進めたいでしょうが、私はそういう勉強を一生懸命やりたい人も、あるいは自分の人生って何かということを考えたい人も、この学校に来れば割と自由に思った通りに活動できるのではないかと考えています。


私自身がそうです。T高在学中はある先生に反発してクラスの大半の生徒で授業をボイコットしたりいろんな場面で反骨精神を出していましたが、無事に卒業できて現在思い通りの楽しい人生を送っています。


先日同期会に77名も集まった14回卒業の先輩たちも
「体育祭のやぐらを無くそうとした学校側と対立して、その時の校長先生を校長室に机と椅子でバリケードをこさえ、何時間か軟禁状態にして交渉をし、二桁の生徒が無期停学となった。しかし全員そのまま卒業できて、その後も今も自由な人生を送っているんだよ。」


と、T高校の歴史上での寛大さの例をを述べられました。


ですから同窓会会長の意見として、地元の皆さんは熊本市へあるいは大牟田福岡県の学校へ進むという選択肢ではなくて、地元のT高校あるいは附属中学校へ進学するという意見をぜひ見直していただきたいものだと思っております。


我々同窓会としてはその部分を親御さん達に伝え、また現役の生徒たちに伝えて、附属中学校あるいはT高校への志願者を1人でも多くしていきたいと思っています。


定員割れした今年のT高受験では応募した生徒は全員合格しているようですが、そこにも私としては疑問があります。


合格したのはいいとしても、やはり250点満点で百点以下の成績の子たちはT高入学後、なかなか苦労するのではないかと思います。


ですから本人の為にも学校の為にもある点数以下の受験生の足切りの決断が必要かと思います。


とはいうものの、合格者数と生徒の質という2つのことを天秤にかけながら、最低点を何点にするか、足切りしていくか、厳しい判断をしていく必要があると思われます。


定員割れはT高校開闢以来の大変な岐路に立たされる出来事です。


単に少子化、あるいは一般の生徒数の激減という社会現象で捉えるべきではなくて、
一言で言えば
「自由の学府」
を標榜し、そこに玉T高の活路を見いだしていきたいというのが私の私見です。


「県北のT高校は自由の学府‼︎」


なかなかいい響きではありませんか。


                                                                                                                        以上